主戦場。

文末に重要な追記があります。2012/1/11 3:00

このブログに始めて悪意のコメントが寄せられました。
いよいよ別れ道が訪れたようです。

読者の皆様は当然ご理解頂けておりますが、このブログは津々浦々の意識体情報を元に
今後人類がどこに行き着くのかを考察する場所です。

一見さんの悪意によりコメントの継続性が損なわれると、情報が散乱してしまいます。
というより私自身が大切にしている、読者の皆様のコメントを閲覧する際、いちいち野暮な文章を見たくはありません。
また他のブロガーさんのように削除すれば何の問題もないことは解っているのですが、
その行為の先には、私が我欲で理力を使うことにも繋がる精神性を持ってしまう可能性があり、
これもしたくないのです。
発する言葉はあくまで等身大、あるがままを書くだけ。
それがなければ、ここの内容は既存のSFと同じなのです。
そして今後そんな私が書いた言葉を他者に証明してもらう、そんな記事を書くつもりなのです。
今日のこんなくだらん記事を投稿しなければならない現在があるからこそ、ここに集う皆様の意味があるのです。

ですので、今後この記事のコメント欄のみ、全てのネガティブコメントをお受け致します。
因みに私は、住所、氏名、年齢、職業、家族構成、など個人情報のほとんどを公開しております。
ネガティブコメントを書き込まれる方々に於かれましても、同等の立場に立たれてのご発言をお願い致します。
ご同意頂けなき場合、ホストアドレスを公開させて頂きます。
以下にそのコメントを転載致します。オリジナルは上記の理由で迷惑コメントとさせて頂きます。
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投稿者:ゲームの小野寺
タイトル:お前ら詐欺集団バンドめが
ホストアドレス:p35014-ipngn1601marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
他人の写真を使い、経歴も嘘をつき、個人情報を収集している玉蔵と一緒になって
音楽活動をしている詐欺集団バンドめ
地獄に落ちろ!
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お答え:
詐欺罪というのは立件が難しくはありますが、刑法 246条違反のことです。
私共はどの角度から精査してもその立件の条件を持ちません。
ゲームの小野寺さまが仰ることが真実でなき場合、
ご発言は刑法230条の名誉毀損罪違反に当たりますが如何いたしましょう。
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このような後ろ向きはたくさんですね。
しかしこの方のお蔭で間違いで迷惑コメント扱いになっていた、
「と」さまのコメントを発見してしまいました。
とさん。本当にごめんなさい。
長い間無視されたとお思いになっていたことでしょう。
今後こういうことがないように気をつけます。
その内容とは、、、
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11/12/19 と
タイトル:行間が濃密過ぎで・・・

こんばんは。
明日は(というか、もう今日ですが)普通に仕事があるのに、なんだか気になって、こんな深夜に、また記事を読み直してしまいました。
というのは、ここに書いてある内容はたぶん、今の人類史上非常に画期的でかつ重要な情報なのだと思うのですが、その割に文章が(話が)あまりにもさらっと進んでいて、その行間に省略された内容の濃密さは、わたしの主観脳のイメージ力ではなかなか理解しきれないのです。
でも気になるので、勝手に妄想を膨らまして楽しんでおります。

>しかし、自分と誰かの距離などの関係性は主観では判断できないのです。
>やがて経験の蓄積で客観が生まれてきます。
>すると、自分と誰かの関係性を認識するようになるのです。
>この関係性の認識を繰り返し行なうことで、
>人はあたかもこの世界が立体であると誤認し、それが既成概念になるのです。
↑この5行の行間だけでも、相当に濃ゆいです。
”主観で(客観的なことは)判断できない”のに、どうして”主観”の経験の蓄積が、いずれ”客観”に化けるのでしょうか?
誰かとの関係性の認識が、どうして立体の誤認に化けるのでしょうか?

ん~、これって、赤ちゃんがおっぱい飲んで、抱っこされて、ハイハイできるようになって、そのうち物心がつくまでのことを言っているのでしょうか?それとも、目で物を追いかけるようになるまでの僅かな期間のことを言ってるのでしょうか?

たぶん、考えてもよくわからないのだと思うので、私にもいずれビジョンや知覚が訪れることを期待して、そろそろ寝ようと思います。
では、次回の記事UP楽しみにしております。
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とさん、コメントどうもありがとうございます。
この説明は身体障害者の方には申し訳ないのですが、
いま仮に、とさんが普段使っているペンがあったとします。
それがピンクパンサーを少しだけ立体的にペイントした柄だったとします。(勝手に想像してます。)
とさんはそのピンクパンサーを見ただけでご自分のペンだと解るはずです。
他との見極めもピンクパンサーでするでしょう。
それはとさんの主観です。
そしてどなたか盲目の方とそのペンのやり取りがあったとします。
とさんは他のペンとの区別をその盲目の方に、少しだけ立体的なペイントをお教えするでしょう。
その時とさんの中ではピンクパンサーのペンに対する認識が変化するのです。
一つだけ客観に近づいたのです。

立体認識もこのロジックと全く同じで、普通人は視覚を一番重要視します。
これは社会構造によるところが大きいのですが。
前出の盲目の方が生まれもった全盲だとします。そして所謂盲学校での教育を受けなかった方と仮定します。
その方は洗脳教育に触れず、また視覚に頼る人間の性を持ち合わせていません。
するとその方なりの世界観、物質観が構成されます。
物体が目の前にあったら普通見ることでそれを判断します。
しかし、全盲のその方は温度や湿度、空気の揺らぎ、そしてその物体から放たれる意識でそれを判断するのです。

我々は視覚という都合良い感覚器を常に使います。しかし逆にその感覚器は洗脳を最も受けやすい入力器官なのです。
まずはテレビを観ることをやめましょう。

<追記1>2012/1/11 3:00

皆様心温まるコメントをお寄せ頂き、どうもありがとうございます。
またご心配をおかけして真に申し訳ありません。
しかしこれには深い理由があるのです。
この記事の主題はここからなのです。

私は前出の悪意のコメントなどでブレたりはしません。
言ってみればトイレの落書きと同じです、なのでそれに目鯨たてる気持ちもさらさらないのです。
では何故こんな記事を書かなければいけないのか?

遡ること一月前です。ある方からメールを頂きました。
その方とはハワイのChiharuさんです。
彼女は優れた理力の持ち主で、経験も深く、覚醒のなんたるかを踏まえていらっしゃる方です。
そして彼女からのメールを夫婦で拝見しました。なんて素晴らしい人なのだろうと言い合いました。
そしてメールを返信するその時です。ビーちゃんの声で「貢司。あなたはこの方とたたかうことになりますが、それでも良いですか?それでも良ければお会いなさい。」と。
私は何のことか解らず、無視しました。
そして更に夫婦で彼女のことを盛上がって話していると、今度は長女(5才)が「パパ。メールしちゃだめだよ。」と言ったのです。
その返信メールが以下です。
そして私は、このメールをChiharuさんが読んでる場面をリアルに感じました。
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Chiharuさま

Chiharuさんの覚醒に対するお考え、またそのご経験に驚きと共に感銘を受けました。

たぶん私と考え方が非常に近く、波動(意識or魂)と脳や身体の関係に対する考察が
私にとって納得いくChiharuさんの心が感じられるからだと思いました。

えすぱー女房と編集者の西塚さんにも話したのですが、是非々お目にかかりたくなりました。
1~2ヶ月の内にハワイへ行くことが可能かもしれません。
ビーちゃんからも逢いなさいと言われました。

その際はお会いして頂けるでしょうか?

> 本など読む時間は おありですか?
> というのも メールに書いた本を そちらにお送りしようかと
> 思っています。

確かに現在凄く時間が足りなくて困っております。
しかし、私はあんな記事を書いているのに覚醒の予備知識は皆無なのです。
なにせ物心つくころから音楽漬けでして、音のこと以外追求したことがないのです。
作文だって今年6月までは最も嫌いなことの一つでした。
それが何故か全く苦にならなくなっております。

なので、Chiharuさんご推薦の本は是非読んでみたいです。

> メールでお送りした経験談は 文章力に乏しいですが
> どうぞ みなさんとシェアして下さい。

ご快諾頂きとても嬉しいです。
個人情報は削除して使わさせて頂きます。
お名前はChiharuさんとだけ記そうと思っていますが宜しいですか?

今後ともよろしくお付き合いください。
またこちらからもメールします。

山田貢司
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この後何度もメールのやり取りがありました。現在も継続中です。

今回記事を投稿する際、私はChiharuさんがこの記事に反応してくれる確信がありました。
そして今日の午後見事にコメントを頂けたのです。

Chiharuさん。私は悪戯にこんなことを書いているのではありません。
弄ぶつもりでこんなことするのではありません。考え悩んだ末に行動しました。
最終的に分ち合えると信じ、敢て挑戦しています。
Chiharuさんの覚醒に対する深い造詣やそれが現在までの人間社会にどのように関係していったかという観念と、私が昨年6月より信じ込まされた様々な情報や思い出した情報から構築された新しい観念の対決なのです。
それを公開ですることで社会的に認められるほどの総合意識に発展させてゆきたいのです。
これが社会覚醒を喚起する岩戸開きなのです。

では本日投稿されたChiharuさんのコメントです。
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Don’t waste your time.
As you become famous, as you come out to the public, more people will see you and hear what you say and some people will not like you or disagree to you.
That’s why magic was had to hide,so does knowledge.
Because that misunderstanding and negative reaction could destroy some thing good.
So what is important? Drain your energy to them to show your heart?
I don’t think so. You have to spend more time to share your gift.
It doesn’t matter some people will like or not.
If you do things from your heart then you’ll shine. But some people will not see you that way. You know why? Every body learning but learning speed is different.
You have choice to delete negative comment but just leave as is. You have to do any thing with it.
You just move on and write more. One day we all not gonna go back to look for old comments that specially some thing negative.
Just forgive and let go but spend some time to pray for them.
That’s call love.

時間を浪費しないで!
あんたが有名になり、また公衆に晒されると、
より多くの人があんたに会い、あんた言葉を聞くでしょう。
そして幾ばくかの人はあんたを嫌い、認めないでしょう。
そのためにマジックは隠され、また知識もしかりなの。
その誤解とネガティブ反応が、良いものを破壊するかもしれないの。
では何が重要?
そこへあんたのエネルギー注ぐの?
私はそうは思わない。
より多くの時間あんたに降りた物を皆と共有することに過ごさなければだめ。
誰が好きでも嫌いでもそれは重要ではないでしょう。
心をこめてものごとにかかればあんたは輝くでしょう。
でも何人かの人々はあんたをそんなふうには見ないの。
なぜかを知ってる?
人は学ぶもの、でも人それぞれだから。
否定のコメントを削除するかスルーするか選べるでしょ。
そうしなきゃだめじゃん。
能書きゃたくさん。もっと書け!
誰もわざわざ否定的なその古いコメントを探しに戻らんだろが。
許せば、それを祈りの時間にできるでしょ。
愛を呼び覚せ!
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先ほどのコメントに追伸。
誰か(第三者)の 否定的リアクションは さして問題ではない。
あなたの信仰心が 如何に深いものかということのほうが 重要だ。
つまり こうした一連のことにより あなたはあなたの信仰心を
試している。
だから 起こっていることには たいした問題はないのです。
Circumstances doesn’t matter only your state of being matters.
OK?
状況は重要ではありません、問題であるあなたの状態だけ。
大丈夫?
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このように意訳してみました。
きっついお言葉どうもありがとうございました。
前半は全て同意です。逆の立場なら私もこのような意見です。

問題は追伸なのです。
信仰心。

私は物心つく頃からよく墓参りをする子供でした。
祖父や母に教わった信仰的慣習もよく理解していました。
例えば、便所には便所の神様がいて、正月にはしめ飾りをかざり、畏怖の念を抱き、、、
などなど数え上げたら切りがありません。
しかし、昨年9月始めに高次元との会話で矛盾を感じたのです。
それは疑念を抱くとかそういったどす黒い感情ではなく、まるで下界の我々のように
思い悩み、ジレンマを抱え、悪戦苦闘している様です。
私はこの時気付いたのですが、神さまも意識体。我々も意識体。木々や物も意識体。
要するに会話出来る意識体はみな同列。みんな皆でこの宇宙を造っているということを知ったのです。

2001年宇宙の旅ででてくる猿はモノリスを発見して気付き、畏れ、そして信仰してゆきます。
その様はここ三千年の我々です。
しかし、アセンションを迎える今の我々は既に次のステップを踏み出しているのです。
畏れたり、仰いだり、願うばかりでは社会を変容させてはゆけないのです。

イエスは数千年前に弟子達と共に世界を先導しました。
しかし、弟子達によるマッチポンプで世論を動かしたようなのです。
当時はそれで良かったのですが、いまは違います。
人類がこの侭数十年同じことを繰返せば、確実に向います。滅亡に。
通信網が未熟な時代。それまでの概念であれば、信仰は人を救い、社会を育て、環境を守っていました。
しかし現代は信仰が考える力を削ぎ、マネーを作り、利権を産み、飢餓を産ませ、戦争を起こすのです。
全くもって正反対なのです。

覚醒はただの技術論で可能です。要は低次元脳の活動を抑えればいいのです。
修行でも、ヘミシンクでも、退行催眠でも、薬でも。
しかし何かのかたちで得た理力も信仰心の(信仰と言う名の洗脳)中で行なわれると、
結局その能力で他を傷付け、どす黒い意識の僕になってしまうのです。
信仰心のない状況で意識体同士が会話をすれば、信じる対象はその相手なのです。
それが伝搬すれば、すべての相手を信じることができるのです。

Chiharuさん。私はChiharuさんの言うところの信仰心は当然前者だと思っています。
しかし、古今東西覚醒者は存在しますし、それを長い年月極めてきた民族もいます。
そして今現在があるのです。この腐った社会なのです。
過去に於ける覚醒に対する考え方は、閉鎖的でドメスティックな文化だと感じています。違いますか?
しかし、いま高次元達が人類に求めるそれは、全く新しい考え方であると思います。
新米が生意気ですが、どうでしょうか?
Chiharuさんのお考えを伺いたいのです。

山田貢司